ワークプレイスにおける木材の魅力。環境心理学が示す可能性とは?
木材が使われたオフィスは、そこで働く人にどのような影響を及ぼすのでしょうか? 環境心理学を専門とする、聖徳大学准教授の白川真裕さんにお話を伺いました。
Facility, Design
部屋に「木を感じるもの」があると、なんとなく落ち着く──多くの人が共感するこの感覚には、何かしらの根拠があるのでしょうか。お話を伺ったのは、環境心理学の分野でオフィス環境と働く人の心理を研究している、聖徳大学心理・福祉学部心理学科准教授の白川真裕さん。
白川さんが木材および木質空間の専門家らとともに実施した検証実験からは、木材とオフィス環境の興味深い関係が浮かび上がってきます。木材の心理的な効果とはいったいどのようなものなのか。そして、私たちは、オフィスでの木材利用をどう捉えればいいのでしょうか。心理学の見地からの指摘は、オフィスの環境整備を考えるための有用かつ新たな視点となるかもしれません。
- 白川 真裕/しらかわ まゆ
- 聖徳大学心理・福祉学部心理学科准教授。博士(心理学)。日本大学文理学部人文科学研究所 研究員、早稲田大学人間科学学術院 講師などを経て、2023年より現職。専門は環境心理学。オフィス、医療施設、カウンセリングルーム、飲食店などさまざまな環境を対象に、環境の持つ特性が人の心理や行動に与える影響に関する研究に従事。近年はオフィスに加え、自宅やワーケーション先など幅広いワークプレイスを研究対象としている。主な著書に「環境心理学:シリーズ心理学と仕事17」(北大路書房、分担執筆)など。
ワークプレイスに関わる環境心理学とは?
──白川先生がご専門とする環境心理学について教えてください。
白川 私たちの世界には、室内環境や自然環境といったさまざまな“環境”があり、その環境が変われば気持ちや行動も変わる──そういった経験はどなたにもありますよね。ただ、環境と一言で言っても、その捉え方や感じ方は人によって違います。同一人物であっても、体調や一緒にいる人、そこにいる目的などによっても違ってくるはずです。
環境心理学というのは、そのように、私たちを取り囲む環境と人の心理・行動の関係を研究する学問です。
──どのようなきっかけでこの分野に興味をもたれたのでしょうか。
白川 子どもの頃、喘息や祖父母の入院で、地元の大きな病院に通っていたんです。当時、病院に抱いていた印象は、長時間待たされるし、パイプ椅子が並んだ味気のない待合室だしと、ネガティブなものでした。
ところが、何年かして再訪したら改築されていました。大きな窓から陽光が入って、外来受付や床が木目調に変わって、とても明るい印象を受けました。自分自身の体や心の状態も影響していたのでしょうが、そのとき「環境が変わるとこれほど印象が変わるのか!」と。
ただ、この時は、印象の変化に驚いただけでした。その後、大学で心理学を学び始めたときに、私の指導教員の専門が環境心理学だったことで、そんな過去の経験と環境心理学という学問が結びつきました。幸運な出会いだったと思います。
木のテーブルのほうが仕事中の満足度は高くなる
──そこから、木材にまつわる環境の研究にも携わるようになったのでしょうか。
白川 環境における木材や木目の効果に気がついたのは、後に、医療施設の環境を研究し始めてからですね。植物が置かれたり、椅子に暖色系の色が使われたりと、無機質さを和らげる工夫をする施設が増えていることがわかってからです。
木材や木目といった素材をテーマにした研究は、株式会社イトーキとの共同研究が最初です。「テーブルの天板を木材にしたら働きやすくなるのか?」を検証するために、木材(クリの薄板を3枚貼り合わせたもの)、木目調のメラミン化粧板、白色のメラミン化粧板の3種類の天板を使って、オフィスワーカーを被験者とした実証実験を行いました。
──どのような実証実験だったのですか?
白川 3種類のテーブルを3週間ごとに実際のオフィスに設置し、2週間のうち5日間、18名のオフィスワーカーに働いていただきました。延べ130日にわたる実験で、3種類それぞれのオフィス環境が、集中力や発想力、心理面などにどのような影響を及ぼすかを検証しました。
──検証結果を教えてください。
白川 まず検証実験には、私のほかにも、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所の杉山真樹氏と、同研究所の出身で現在は東京大学大学院農学生命科学研究科教授の恒次祐子氏も参加されました。
私が担当したのは、制限時間内で行う計算課題による集中力の測定、マインドマップによる発想力の評価、あとは、質問紙による主観評価です。マインドマップというのは、ひとつのテーマから思い浮かんだ言葉を書き連ねていく連想ゲームのようなもので、多く書けているほど発想力が高く、イメージが湧きやすいと評価されます。
結果については、残念ながら、計算課題とマインドマップの検証では統計的な差は認められませんでした。一方、主観評価では木材のテーブルが良い評価を得ました。
──主観評価について、もう少し詳しく教えてください。
白川 主観評価の評価項目は、作業効率やコミュニケーションなどの生産性に関する評価、満足度に関する評価、形容詞対による印象評価などのうち多くの項目で、木材とそのほかの素材との間に統計的な差が認められ、木材のテーブルが一番高い点数になりました。
また、総合評価においても、(上から)木材、木目調のメラミン化粧板、白色のメラミン化粧板の順になりました。木目調が木材と白色の間の評価だったことから、木材実物ではなく、木材っぽい見た目だけでも満足度は高まることが示されたわけです。
──白川先生のご担当以外の検証結果はどうでしたか。
白川 ワーカーのストレス状態を見るため、唾液中に含まれるコルチゾールというホルモンの濃度を測定しました。唾液中のコルチゾール濃度は1日の中で変動があり、朝起きたときが最も高く、その後夜に向けて徐々に下がっていくのですが、慢性的なストレスがかかっていると、高いままの状態になります。木材のテーブルのときコルチゾール濃度が下がる度合いが最も大きく、慢性的なストレスが軽減されていたと推測される結果が出ています。
また、「自覚症しらべ」「STAI状態・特性不安検査」「気分プロフィール検査(POMS2)」という質問紙を使った検査によって、不快感や疲労感、不安感は、ほかの素材より木材のほうが軽減されるという可能性が示されました。
- <本セクションで紹介した研究に関する文献>
- ・杉山真樹・恒次祐子・白川真裕・吉村佳祐・山本賢二・小島勇・久保田誠・松宮一樹(2021). オフィスへの異なる材質の執務テーブル導入が執務者の心理・生理に及ぼす影響 その1 執務時の疲労感、不安感、気分評価に及ぼす影響、2021 年度日本建築学会大会(東海)学術講演梗概集、環境工学Ⅰ、63-64
- ・白川真裕・杉山真樹・恒次祐子・吉村佳祐・山本賢二・小島勇・久保田誠・松宮一樹(2021). オフィスへの異なる材質の執務テーブル導入が執務者の心理・生理に及ぼす影響 その2 生産性および心理的評価の検討、2021 年度日本建築学会大会(東海)学術講演梗概集、環境工学Ⅰ、65-66
- ・吉村佳祐・前田啓・恒次祐子・白川真裕・杉山真樹・山本賢二・小島勇・久保田誠・松宮一樹(2021). オフィスへの異なる材質の執務テーブル導入が執務者の心理・生理に及ぼす影響 その3 執務中ならびに計算課題中の生理反応、2021 年度日本建築学会大会(東海)学術講演梗概集、環境工学Ⅰ、67-68
- ・白川真裕・杉山真樹・恒次祐子・山本賢二・小島勇・久保田誠・松宮一樹(2022). オフィスへの異なる材質の執務テーブル導入が執務者の心理・生理に及ぼす影響 その4 ヒアリングによる質的データの検討、環境心理学研究、19
ワークプレイスの木質化とABWの関係性
──共同研究では、ABW(アクティビティー・ベースド・ワーキング)についての実証実験も行ったと伺いました。ABWの観点から見た木材の効果を教えてください。
白川 さまざまな目的別のワークプレイスが設けられたABWオフィスで働いているワーカーを対象に、木材や木目調の素材を使って木質化したブースと、何も施していないブースでの比較を行いました。
木質化されたブースのほうが利用されている延べ時間が長い、すなわち多くの人に選ばれているという結果が出ましたが、インタビューの結果、デスクの広さ、サブモニタやディスプレイの有無、ブースの防音性など、機能・設備面に関する要因が優先されることがわかりました。オフィス内での動線など、空間内の立地を同じ条件にするのが難しかったため、木質化したブースの評価が高いと言い切るにはいたっていません。
ただ、「空間内の条件が同じであれば、木質化したブースを使いたい」と言う人は多かったですね。「カジュアルな雰囲気で打ち合わせに良い」「木の天板のテーブルは目に優しく、触れられるので良い」といった回答や、「木の香りが気持ち良い」という回答もありました。
──そうしたABWや、先にお伺いしたテーブルの天板の検証結果からは、どのようなことが推察されるのでしょうか。
白川 まずお伝えすべきは、私たちのそれらの検証実験で得られた「働きやすさに関する効果」は、被験者の主観的な評価によるということです。
「木材を使った環境がポジティブに受け取られた」という主観による結果は得られていますが、この結果と、生産性の向上といった効果がどこまで結びついているのかを調べるのは簡単ではありません。今明言できるのは、「ワーカーが木材を使った空間から無自覚的にポジティブな影響を受けている」ことではなく、「ワーカーの心の動きとして、ポジティブな捉え方をしている」ことです。
ただ、いずれにせよ、「木材を使ったオフィス環境がワーカーにいい影響をもたらす」ことは推測できます。たとえば、木材のオフィス家具によってつくりだされる雰囲気でリラックスできるとか、さらに、そのように労働環境の工夫を重ねる会社の姿勢に対して信頼や安心感を覚えることもあるはずです。それが、ワーカーや企業にとってプラスに働くのは確かでしょう。
- <本セクションで紹介した研究に関する文献>
- ・杉山真樹・白川真裕・小島勇・上野哲生・久保田誠(2022). ABW 空間の場所選択におけるワーカーの行動および評価構造の把握 その1 行動分析および心理的評価、2022 年度日本建築学会大会(北海道)学術講演梗概集、環境工学Ⅰ、155-156
- ・白川真裕・杉山真樹・小島勇・上野哲生・久保田誠(2022). ABW 空間の場所選択におけるワーカーの行動および評価構造の把握 その2 評価グリッド法を用いた検討、2022 年度日本建築学会大会(北海道)学術講演梗概集、環境工学Ⅰ、157-158
環境の捉え方は千差万別だから慎重さも大切
──ワークプレイスの環境を考える上で、大切にすべきはどのようなことだと思いますか。
白川 木材や植物に含まれるフィトンチッドという揮発性の物質を嗅ぐことによって、人はリラックスするというデータがあります。「私たちの祖先は自然のなかで暮らしていたから」と言われると納得しやすくはあるのですが、自然からかけ離れた環境で生まれて暮らしてきた現代人にそれがあてはまるかというと、そう単純な話ではないと思います。
むしろ、「木はいいものだ」「自然の環境は体にいい」と言われてきたことで、木材にポジティブな印象を抱くのが実際のところかもしれません。逆に、「いぐさ」を知らないがため、嗅ぎ慣れない匂いのする畳の部屋を不快に感じる若い人がいることを考えると、将来、ヒノキの印象がマイナスになる可能性もあるでしょう。
オフィスや病院をはじめとしたさまざまな施設で、機能性・効率性を重視した無機質な環境ではなく、利用者の快適性にも焦点を当てた設計が行われるようになっています。しかし、カフェやホテル、リビング的な環境に寄せすぎて、まるで別の施設のような「らしくない」環境になってしまうと、違和感や居心地の悪さを覚える人がいるということも確認されています。
オフィス環境に「オフィスらしさ」を求めている人にとっては、「らしい」環境に身を置くことでスイッチが入りやすくなります。つまり、オフィスでの木材活用についても、嗜好やこれまでの経験などによって、受け取り方が異なる可能性があります。オフィス環境を考える際には、「本物の木がいいということがわかったから、全て木質化しよう」というようなやり方ではなく、使われる素材がそれぞれのワーカーに及ぼす影響を見極めながら慎重に進めていくことが大切だと思います。