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【ABW最先端】栗田工業の事例にみる、ワーカー思いのオフィス改革

真に健康で幸福な働く場・働き方を構想するには何が必要か――。そんなことを念頭に、ウェルビーイングなオフィスのつくり方について「ウェルネスオフィス」の第一人者である千葉大学大学院准教授の林立也さんに全6回で掘り下げてもらう連載企画。

第5回では、2023年に第36回日経ニューオフィス賞を受賞された水処理大手・栗田工業のKurita Innovation Hub(KIH)で行った定量的効果検証と、それを受けて計画された同社本社(東京・中野区)のオフィス計画の経緯についてインタビュー形式で伺った内容を紹介する。

  • 林 立也/はやし たつや

    林 立也/はやし たつや

    千葉大学大学院工学研究院准教授。1973年生まれ、2001年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。日建設計、日建設計総合研究所を経て、2013年から現職。建築物の総合的環境評価研究委員会やCASBEE研究開発委員会、SDGs-スマートウェルネス建築研究委員会、SDGs-スマートウェルネス住宅設計ガイド研究委員会、次世代公共建築研究会など、官民を問わずさまざまな委員も歴任。

第1回:ウェルネスオフィスのキソ。オフィス戦略を経営・人事戦略と連動させよう
第2回:ウェルネスオフィスの構成要素。オフィスのスペックを多角的にしっかりチェックしよう
第3回:ウェルネスオフィスがもたらす3つの効果。健康性、知的生産性、そして企業価値の向上
第4回:【事例紹介】パーパスをオフィスに落とし込む。ワークプレイスデザインのプロ集団が実践した、自社移転のキーコンセプト

ABWを突き詰めたKIH

クリタグループの研究開発・イノベーション創出拠点であるKIHは、国内外のお客様や研究機関をはじめとするステークホルダーとのつながりにより多様な知を融合させ、社会・産業の課題を解決するイノベーションを生み出すことを目的とした研究所兼オフィスである。本オフィスでは若手従業員からの発案でABW(Activity Based Working)の概念を採用し、High Focus, Teleconference, Contact, Discussion, Relaxという5つの活動エリアを設け、研究員の作業の集中や、実験室にこもりがちな研究員同士がオープンなエリアでコミュニケーションをとって共創することなどを意図して計画された。

KIHのオフィス計画の効果を経営層に伝えて従業員に共有することで、共創の輪を本拠点に留まらせず全社に拡大していくことなどを目的に、千葉大学の筆者の研究室と共同でアンケート調査や実測調査などを実施した。具体的には下図の仮説フローをもとに、どのような要因がワーカーのワーク・エンゲージメントやイノベーション行動、メンタルヘルスに影響を与えているかなどを分析している。

分析結果からは、「オフィス環境を高く評価している従業員は上司や同僚とのコミュニケーションが良好」「よく移動している従業員は上司とのコミュニケーションが良好」「コミュニケーションが良好な従業員はTMSやUWESが高い傾向にある」などが得られている。また、ABWとして計画された各エリアの利用状況や各指標の関係なども見ることで、働く場所が従業員のコミュニケーションに与える影響の分析などを行っている。

オフィス完成はゴールではない

従来、「本社ビルを建てる」「本社オフィスを改修・改装する」などのプロジェクトに際し、アンケートにより満足度などを確認することは多い。一方で、当初の目的が実現しているか等を綿密かつ科学的に検証する事例は少ない。これは、「当初計画の目的自体がふんわりしている」「担当の総務部門が経営者にその意義を明確に伝えられていない」「効果検証をして意図した結果が出ないことを恐れる」「検証方法やその費用を持ち合わせていない」などの理由によるものであると考えられる。

しかし、オフィス計画が物理的に完成したことで、目的が完了する訳では決してない。課題を見つけて改善・改良を計るためには、状況をモニターし、対策を打ち、それをまた確認するというプロセスが必要と考えている。栗田工業ではKIHプロジェクトによる良好なアンケート結果などを受けて、その波を中野の本社、大阪の支社へと広げた。

以下に、本社の改装に至る経緯およびその内容について、経営管理本部 総務・リスクマネジメント部 総務・BCM推進課の上野あゆこさんにインタビューした内容を紹介する。

KIHから本社リニューアルへ

――本社リニューアルに至った経緯を教えてください。

上野 スタートはKIHでした。研究所と本社で条件は異なりますが、企業理念や企業ビジョンの実現など目指すところは同じです。そこで、KIHでのアンケート結果も良好だったこともあり、本社、大阪支社でもABWの視点でリニューアルを実行しようとなりました。アンケート結果はとても大事でしたが、KIHを訪れる社内メンバーが口々にその開放感などに感嘆の声を上げ、「従来の島型のオフィスレイアウトと比較してしまった」「従業員が求める風土はこれなのだろう」と誰もが感じたということもありました。

ただし、本社リニューアルのきっかけはコロナ禍でした。在宅勤務等の奨励でフロアの縮小を検討する際に、どうせリニューアルするなら、オフィスだけでなく働き方も含めて変えようとなりました。

Photo: Frontier Consulting Co., Ltd.
Photo: Frontier Consulting Co., Ltd.

目的を持って出社してもらう

――本社のリニューアルコンセプトを教えてください。

上野 リニューアルのコンセプトは以下の3つです。

・ 従業員同士のフィジカルなコミュニケーションを通じて
・ 一体感の醸成やイノベーションの創出を促進するとともに、
・ 従業員の新しい働き方の変革を促進する。

会社に来るのが当たり前ではなくなったので、理由を持って出社する働き方を推進し、そのために必要な機能を付加しようという考え方です。これらのコンセプトはコロナ禍を経てすでに経営側で議論が進んでいました。私の役割はそれをどう実現するかを考えることでした。

――オフィス面積を減らしてABWを実現するとなると、コンセプトだけでなく、面積配置の数値的な根拠も必要だったのではないでしょうか?

上野 はい、これはリニューアルを担当していただいた企業の方の協力も得て、詳細に調査しました。出社率の想定、デジタル化により減らせる倉庫面積など、かなり細かく積み上げました。

本社リニューアルを担当した、栗田工業 経営管理本部 総務・リスクマネジメント部 総務・BCM推進課の上野あゆこさん

従業員満足度80%超

――その後、働き方は変わりましたか?

上野 出社率は概ね想定した3~4割だと思います。ですので、従業員は出社する理由を持って会社に来るので、想像したよりも自由かつ上手に席を使っていると感じています。コロナ禍を経てそのような働き方が身についていたのもあり、スムーズに移行できたと考えています。ただ、新入社員などのフォローは重要と考えており、半年間程度は手厚くフォローしています。一方で、昔の働き方に慣れている従業員の意識を変えるのは難しいです。そこも丁寧にフォローしてオフィスの使い方を遵守することを意識づけしています。

その結果、20~60代の各年代において、満足度は80%超となっています。今は役員も他の従業員と同じフロアでフリーアドレスで働いています。隣に役員がいて驚くなんてこともあり、フラットな風通しの良さも醸成され、働く場所と併せて「文化」が出来上がりつつあると感じています。ただ、想定した通りにうまく使われていないエリアもあり、そういう部分は日々改善を図っています。やっぱり場所を作っただけで、急に従業員の皆さんが話し始める訳ではありません。それを促進するソフト的な取り組みもいろいろと試しています。

Photo: Frontier Consulting Co., Ltd.
Photo: Frontier Consulting Co., Ltd.

――具体的な経営上の効果は感じていますか?

上野 具体的な数字はとっていないのですが、リクルートの感触の良さは感じています。オフィスへの印象ももちろんですが、それと併せた働き方も魅力となっているようです。また、近年は新卒だけでなくキャリア採用を増やしていますが、キャリア採用候補の方々は前の会社の働き方を知っているので、オフィス内覧の印象は大変良好です。他社と悩まれている方がこちらを選んでくれる率はかなり高くなったと感じています。

課題は栗田工業のアイデンティティをどう出すか――。自由に働けると気持ちも比較的自由になりやすいので、今後は「この会社だからこそ」という価値の創出によりつなげていきたいと考えています。

――お話しいただき、ありがとうございました。

思いをつないで進化させる

今回、栗田工業の本社のリニューアル計画を担当した上野さんにお話をさせていただき、会社組織と従業員を結び付ける、コーディアルで相談しやすいコンシェルジュのような方だと感じた。思いを持った人が計画から運用まで一気通貫で関わっていることが、文化の醸成に強く貢献しているのだろう。このようなケースでは、属人的になり、「あの人がいないと無理だ」という雰囲気にもなりがちだが、オフィス改善プロジェクトチームに希望して参入してくれる若手も現れたということで、普段から楽しく仕事を進められているのだと想像された。

オフィスづくりは主にハードを作る作業であるため、ついついそのデザインや形などの視覚的な魅力の創出に気持ちが行きがちになる。一方で、その計画コンセプトを従業員間で共有し、働き方を進化させ続けるためには、関わる方々の思いが重要だと再確認できた。

今回の場合、計画の前段でしっかりと働き方を調査し、その調査結果や経営方針を計画・理念に昇華させている。その理念が多くの従業員の共感を得たと考えられるが、それを伝え合う継続的な活動が新しい文化を作り出していると感じた。

Photo: Frontier Consulting Co., Ltd.