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ロボティクス研究者が挑む!「知能を宿したオフィス」の可能性 | Scientific Implications

空間のなかにいる人や物のデータを収集し、そのデータをもとにロボットが人を支援する「空間知能化」。この新たな技術が実現する未来のワークプレイスとは? ロボティクス研究者の橋本秀紀氏に話を聞いた。

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未来のワークプレイスのカギを握る「空間知能化」

センシング技術やデータ解析技術の発展により、ワークプレイスでもデータの取得と活用が進んでいる。たとえば、センサでCO2濃度を測定し、基準値を超えると換気を促す空調設備が採用されていたり、ウェアラブルセンサによる行動データを生産性向上に活用したりしている企業もある。

このような「人」と「機械」と「空間」をつなぐ技術がさらに発展した先には、どのような「未来のワークプレイス」が実現するのだろうか。そのキーワードとなる「空間知能化」をテーマにロボティクス研究を行う橋本秀紀氏にインタビューを行った。

 

空間知能化とは

「未来のワークプレイス」と言われたときに、どのような空間をイメージするだろうか。必要な情報が即座に提示される会議室や、小型ロボットたちが人間の作業を支援するオフィスを想像する人も多いのではないだろうか。

橋本氏の研究のキーワードである「空間知能化」は、このように私たちがイメージする新しい空間を実現するための基礎となるアイデアだ。空間知能化とは、空間のなかにある人や物の位置や状態をセンサ等で取得し、そのデータをもとにロボットなどで人をサポートするシステムのことを指す。

人間が物を見て、状況を判断し、手足で動作するのと同じように、空間知能化された空間(知的空間)では、センサによる「観測」→ コンピュータによる「判断」 → ロボットによる「作用」が行われる。個々の技術をバラバラに扱うのではなく、人を支援する空間というひとまとまりの仕組みとなっているところがポイントだ。

空間知能化の概念に照らすと、空間はこれまでのように物を置く場所ではなく、テクノロジーを埋め込む箱と考えられる。

ChatGPTなどの生成AIに代表されるように、テクノロジーの発展は日進月歩だ。空間をテクノロジーを埋め込む箱ととらえると、その空間はテクノロジーの発展に伴って機能をアップグレードし続けられるということになる。

橋本氏は「空間知能化」という言葉の由来について次のように語る。「1980年代の終わりに私がマサチューセッツ工科大学(MIT)で研究を始めたときには、ロボティクス技術が応用された空間を指す『インテリジェント・スペース』という言葉が既にありました。私はそこに、「技術によって絶えず発展する空間をつくるプロセス」というニュアンスを加えたいとの思いから『空間知能化』という新しい言葉をつくったのです。」

空間知能化という言葉には、一度つくったら容易には変えられないこれまでの‟静的”な空間ではなく、埋め込む技術を切り替えたり更新したりすることでその機能が刷新されていく、‟動的”な空間を設計できる可能性が開かれている。

空間知能化を実現する技術を開発

空間知能化の実現に向けて、橋本氏の研究室では「センシング」「ロボティクス」「アクチュエータ」の3つのテーマを柱に研究を行っている。これらのテーマは、先に挙げた観測 → 判断 →作用に対応したものだ。

まず、空間の中の物や人の位置や状態を観測することが一連の流れの出発点であり、そのためにはセンシング技術の開発は欠かせない。橋本研究室では最近の研究により、空間内にいる人の位置と呼吸数や心拍数、体の動き、血圧などを高精度に測定できるセンサを開発している(Tsubota, Nagatsu & Hashimoto, 2022)。

驚くべきは、これらの情報を非接触で測定できることだ。スマートウォッチのような機器を身につける必要がない。「実はこの非接触の測定を実現しているのは、皆さんも毎日使用されているWi-Fiなんです」と橋本氏は笑顔で教えてくれた。

Wi-Fiは近くにあるデバイス同士を無線で接続する通信方法だが、橋本氏らはこの電波を測定に利用しているのだ。非接触であることにより不快感がなくなり、さらにWi-Fiという既に使われている技術を利用することで一般への普及拡大も期待される。


空間知能化の研究について語る橋本氏

また、ロボティクスやアクチュエータ(モータに代表される動きを生み出す装置)の研究も見逃せない。ロボティクス研究では、人間と協働するために、状況に合わせた司令を出し、適切な動きを実現するロボットの開発が進められている。また、空間知能化を支えるロボットは、主に屋内で人間とともに動作するため、必要なパワーをもちながらも小さく、静かで、電力消費が少ないアクチュエータの開発にも取り組んでいる。

こうした研究の成果として、階段とフロアがある建物内で人間と協働することをめざして、平らなところでは2輪で進み、階段があるところでは安定性の高い4輪に変形するロボットなどが開発されている(Lu, Itagaki et al., 2022)。

空間知能化は複数の技術の組み合わせのうえに成り立つコンセプトであり、一足飛びに実現するのは難しい。橋本氏は研究室のメンバーとともに、その要素となる技術の開発を着実に進めている。

未来のワークプレイスの姿

橋本氏の取り組む研究がさらに進み、空間知能化のアイデアが実現したとき、ワークプレイスはどのようなものとなっているだろうか。

たとえば、Wi-Fiを使って心拍数や呼吸数などの測定が空間内でできるようになると、疲労による集中力低下や不調を早めに検出し、休息を促すシステムが実現できそうだ。現在でもキーボードのミスタッチや体動をもとに個人向けに休憩を促すシステムはあるが、空間内での情報取得が可能になれば、集団の状態を把握できる可能性が開ける。

また、「このチームは全体的に疲労が蓄積している」といったアラートを出すことで、チーム内で一時休憩を入れたり、上流工程からくる仕事の量を調節したりするといった対応が可能になると考えられる。チームで仕事をしている際に、自身が疲労を感じて休憩を提案するというのは言い出しづらいものだが、客観的なデータに基づく提案により適切なタイミングで休憩を入れられれば、チーム全体のパフォーマンス向上が期待できる。

さらに、「オフィスにこうした技術を取り入れることで、フレイルなどの加齢による身体機能の低下についても予防できると考えています」と橋本氏は言う。フレイルとは加齢により心身が衰えた状態のことであり、その予防には運動をはじめとする生活習慣の改善が重要となる。たとえば、空間知能化により、オフィスでの長時間座りっぱなしをセンサで把握して、ロボットが運動を支援するといった介入が可能となるだろう。

こうした未来のワークプレイスについて、「実現のための要素技術の開発は進んでおり、それをどのように組み合わせていくかという設計が必要です」と橋本氏。要素技術の組み合わせにより、実現できることは無限に広がるだろう。知能を宿した空間によって私たちの仕事や健康が支えられる未来のワークプレイスに期待が高まる。

未来のワークプレイス実現のために必要なこと

それでは、空間知能化を実現するために、今後何が求められるのだろうか。

橋本氏は「要素技術を組み合わせることで、価値を創造できる人が必要となります」と語る。「価値」というのは、課題を解決した結果、他の人や社会が「いいね」と言ったときに生まれるものだと橋本氏は考えている。

要素技術はあくまでも要素であり、単独では価値を生み出すことが難しい。だからこそ橋本氏は、課題を見出し、要素技術をどのように組み合わせれば課題解決につながるかを考えられる「インテグレータ」の存在が重要になるとみている。

最後に、現在の研究の3本柱に4つ目のテーマを加えるとしたら何になるかを橋本氏に尋ねてみた。「『人』ですね。空間知能化は人のための空間を提供するものであり、人のことがわからないと技術の効果的な使い方が見えてこないと思います」。

近年、人と機械の相互作用を扱う研究が盛んになってきているが、これからは工学領域と人の行動や心を扱う心理学や認知科学領域との連携が今まで以上に必要となることだろう。こうした領域を横断した研究の産物として、技術から橋本氏の言うような「価値」が生まれてくるはずだ。

ワークプレイスを考えるうえでは、実際に企業でワークプレイスづくりに携わっている「人」たちの経験や見解が不可欠だろう。橋本氏のように技術を生み出す研究者と、技術から価値を生み出すインテグレータ、そして企業のワークプレイスづくりを担う人。その三者の連携から、知能を宿したワークプレイスが価値を生む未来が創造されると思われる。

 

インタビュイープロフィール

橋本 秀紀(はしもと ひでき)
1957年佐賀県生まれ。大学卒業後、電力会社勤務を経て、1987年に東京大学大学院博士課程電気工学専攻修了。工学博士。東京大学講師、助教授、准教授を経て、2011年から現職。MIT客員研究員、名古屋大学・ブダペスト工科経済大学・ソウル国立大学の客員教授も務めた。制御・ロボティクス・電力を駆使して空間を賢くする「空間知能化」の研究に従事し、パーソナルモビリティ、ワイヤレス電力伝送と電力貯蔵デバイスとの組み合わせによるエネルギーマネジメント、睡眠導入ロボットなどの研究を進めている。
研究室HP: https://hlab.r.chuo-u.ac.jp/


この記事を書いた人:Iori Egawa

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